新年の手土産として美味しそうな苺を買うも、渡し忘れるというまさかの失態を犯した。暖房をかけることの無い部屋に保管していたが、やはり苺である。熟れた実を彷彿させ、空気までも赤く感じる程の甘い香りを放つようになるまでにそう時間はかからなかった。甘い香りを感じるようになってからは瞬く間にそれは強くなり、部屋の外にまで紅色の空気が漂うようになっていた。
開封、そして処理はいつかやらなければいけないのだが、果実の放つあまりにも強い香りに尻込みし後手に回し続けていたため、重い腰を上げた時には既に実の一部が白色や黒色の斑点に侵されていた。一歩遅かった。とはいえ、充分に熟れている、という何よりの証拠と言えるだろう。斑点に侵されずに甘く、柔らかく、種まで深紅になるまで熟れた実は、置かれていた状況を考慮し熱を加えてから存分に味わうことにする。果物に熱を加えるとなるとジャムにするという考えが浮かぶが、それではつまらないうえに大好きな白米には合わない。これは大問題である。となると焼き菓子にするのが良いだろう。
パートシュクレを仕込み、休ませる間にクレームダマンドの仕込みと苺たちの準備を済ませる。苺の甘い香りがより一層強まったように感じた。クレームダマンドにはラム酒を加えようと思っていたにも関わらずラム酒の瓶のキャップを開けることなく仕込みを終えたのだが、それに気づくのは後の話である。休ませていたパートシュクレを型に敷き込みさらに休ませる。その間にクランブルも仕込む。――果物とクランブルの相性は間違いが無いと言っても過言ではなく、果実の甘さや食感にクランブルが組み合わせられて美味しいと感じなかった経験はほぼ無い。某珈琲店の湿気たクランブルケーキを食べたときくらいである―― 仕込んだクランブルはバターが溶けてこないよう、出番が来るまで冷蔵庫で待機してもらう。さらに、食べずに置いていた頂き物の林檎も一緒に焼き込めるように準備を済ませた。冴えない地味なものばかり仕込んでいたが、型に敷いた生地にクレームダマンドを入れ均し、依然として強く甘い香りを漂わせる苺と食べる機会の失われていた林檎をぎっしり並べると菓子と名乗れそうな若干の華やかさを感じられるようになった。
クレームダマンドにラム酒を入れていないことに気づいたのは果物を並べ終わる頃だった。残念である。
果物がこんもりと山をなすタルトに冷蔵庫から取り出したクランブルを乗せる。実はクランブルを仕込んでいた時点で多いと感じていたのだが、やはりその通りであった。山の上にさらに山を作ることになり、苺も林檎も全く姿が見えない状態になった。若干の華やかさはものの数分で消え失せ、このまま果物たちは見えないまま完成に至る。今回、華やかな菓子を作る気は毛頭なかったのだ。果物たちにはまた別の機会に活躍してもらう。とはいえクランブルが多いということは変わら無い事実なのである。適量を乗せて残った分は廃棄してしまおうかと考えたが、全てを山に足すことにした。今日は果物をコンポートにせず切ったものをそのまま敷き込んでいる。つまり、加熱すると果汁がたっぷりと出てくるのだ。幾分かはクランブルに染み込み、良い塩梅になることを期待してオーブンに入れることを選択したのである。
180℃に温めておいたオーブンに美味しくなさそうな山を放り込む。華やかさの無い菓子を作っているので全ての人が美味しそうだと感じる完成形になるとは思っていないが、問題はひとつもない。食べるのは私自身である。一見地味だが重厚感のある焼き菓子がとても好きなのだ。自分で作るのなら自分が食べたいものを作るのが一番だ。
焼きあがるのが待ち遠しいが未加熱の果物を入れたので長めの焼成になるだろう。頃合いを見計らってオーブンから出す。上手くいくと良いのだが。しばらく経つとイチゴキャンディを大量に溶かしているかのような甘い香りで部屋がいっぱいになった。焼き始める前の熟れた甘い香りとはまた違う、水飴のような粘度と熱を感じさせる重厚感のある甘い香りだ。前者を紅に紫色のフィルターをかけたような、少し危険な雰囲気を漂わせる紅だとしたら、後者は紅に1滴の黒色を注したような重みがありながら硝子のような透明感も感じるような、艶やかさを纏う紅である。甲乙つけがたい、今の季節だけの魅力的な香りだ。さらに待っていると、苺だろう。熱いオーブンの中で〈じわり…じわり…〉と赤いシロップがクランブルの隙間から滲み出てきていた。オーブンの扉は熱いうえに内部の様子が見にくいのだが、それらを耐えてまでつい釘付けになる。
何分待っただろうか。ひたすら待つだけだとオーブンが気になって離れられなくなるので、焼き加減を確認しながら夕食の支度から食事までを済ませ、時間が経つのを待った。オーブンから出したらすぐに食べたい、型から取り外したいという気持ちになるが、焦ってはいけない。まだ、待つ。ある程度冷めた後に型から外さなければ今までの過程が全て水の泡となる。胸を高鳴らせながら待つのである。購入したものが手に届くまで待っている時間によく似た高揚感がここにもある。好きなものを待つ時間とはなんと素敵なものなのだろうか。素敵な時間を経て皿へ取り出したそれに華やかさはやはり無いものの、静かながらに“美味しい苺が隠れているんだ”という主張を感じる。華やかな菓子も美味しいが、地味でも美味しい菓子はこの世に山ほどあるのだ。
オーブンに入れる前は山になっていた林檎が煮林檎のように色を変え、くたくたになり、かさを落とした。林檎を使った菓子が好きな人には堪らない状態なのではないだろうか。山が平地になるほど苺からも林檎からもたっぷりシロップが出たようで、パートシュクレの厚さとクレームダマンドの量、さらには焼成時間に後悔が残る結果となった。とても悔しい。きちんと考えてレシピの修正をしていれば良かったのだ…お恥ずかしい。入れ忘れたラム酒も加えて修正をすれば、かなり私好みの美味しい焼き菓子になるに違いない。
材料の値上がりが著しいことが悩ましいがまた作るであろう。煌びやかな生菓子も、いつか。